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カテゴリー:音

2005.8.29

音あそび

1. 金属でできた入れ物を用意。鍋でもヤカンでも鍋のフタでも可。
2. それを流しのフチかどこかにぶつける。
3. 「かぁぁぁ〜ん!」と音がする。
4. 「かぁぁぁ〜ん!」の残響が残っているうちに、すかざず入れ物に水を注ぐ。
5. 残響が「くワぉぉぉぉ〜ん?」と変化する。

シンプルだけど、ちょっと楽しいです。(^_^;)
気が向いた方、試してみて〜!

2005.7.31

音前線

「音の変わり目」に弱いのです。かなり。
ツボを付かれたものだと、その一瞬の為だけにでもその曲を聞きたくなることもあります。

古くはバッハが多用しているような、短調の曲の最後に長調のコードを持ってくるものとか。坂本龍一教授(大ファンです!)の曲調の中にみられるような、濁りのない音系からの絶妙な音のぶつけ方とか。音を思い浮かべただけでクラクラしてしまいます。

それらはどことなく、前線に似ている気がします。暖気と寒気のぶつかる場所。あるいは、田んぼのあぜ道を歩いて突如としてぶつかってくる、湿り気をおびた暖かい空気の塊とか。もしも私が魚だったら、暖流と寒流がぶつかるところを心地よいと思うかもしれません。「水の色のかわる場所」そういう表現をした人もいます。

それらの「フワ」っとした感覚。つかまえられそうで、つかまえられないのです・・・。

【旧 Short Tripより 2000.11.26】

2005.6.24

ドビュッシー

当時、学生だった私は卒業論文を書いていた。論文のタイトルは『古代ギリシャのドリス式周柱神殿の設計過程に関する研究』。そして論文の中にこそ書かなかった(と思う)が、自分の中では一つのことを確信していた。「神殿は音楽だ」。あるいは、「建築と数学と音楽が近かったころの建築」。

私がギリシャに関心をもったのは中学生のころ。人間くさくて奔放な神サマたちの物語りを読んだのがきっかけだった。『オデュッセイア』なんて何回読んだかわからない。もちろん、子供でも読めるように書いたものではあったが。そのころから私の「一番好きな国」はギリシャだった。

建築を学ぶようになって、その学校に堀内先生がいらっしゃったのも本当に偶然だった。日本の中では古代地中海建築史の研究では第一人者。建築を学ぶ人なら一度は見たことのあるはずの『西洋建築史図集』の古代史の部分を担当した方だ。中でも専門はエジプトとギリシャ。不思議な縁だと思った。

「設計過程に関する研究」通称「設計法」。遺跡の発掘報告書の寸法から、設計者の思考の流れを推測する、というものだった。一見、ほとんど同じに見える神殿郡もよくよく調べるとかなり個性がある。時代により。設計者により。なにせ、同じモデルを約500年かけて実物でエスキスしていたものが残っているようなものなのだがら。

初期のものは、様式が完成していないせいか、かなり試行錯誤したことが伺える。アルカイック期になると、あらかた法則が出来上がり、パルテノンのころ、絶頂期を迎える。法則と挑戦。これを絶妙に使い分けていた。その後の神殿は法則にとらわれすぎて当初の目的を見失っていく。

ここでいう法則とは、比例関係のことだ。各部はそれによって決められていくと考えられている。比例の根拠は美的なもの、構造的なもの、さまざまな要素があるが、中にはどうも「神サマによる比例」というものもありそうだった。例えばゼウスは2:1。他の神々は2:1を微妙に崩したものが使われていた。アテナは9:4、アポロンは5:2(だったと思う・・・)といった具合に。

比例以外の寸法決定の要因としては当時の尺度。1フィート=16ダクティルという、16進法が使われていた。比例と、尺度による微調整。これらによって神殿の形は決められていった。ふと、思った。その操作は音階の作り方と似ているのではないか?

音階の基礎を作ったのはピタゴラス。いわゆる「12平均律」。半音階(クロマティック・スケール)の各音の周波数は2の12乗根を公比とする等比数列となっている。とはいえ、ピタゴラスの当時は概念はともかく2の12乗根という具体的な数字はなかったと思うが。なにせ、ピタゴラス派の中にはルート2の存在を口にしただけで、命を落とした人がいるらしいのだから。「無理数」はタブーだったのだ。音階も、弦の長さを調整しつつ、法則化されたことだろう。

和音は音の比例関係で決まる。例えばドミソは4:5:6。ところが音の尺度である平均率でのドミソは厳密には調和していない。2の12乗根という、キリの良くない数字によって決まるのだから当然だ。そこで微調整が必要になる。ドの音を基準にした場合、ミの音はちょっと低め、ソの音はちょっと高めに調整してはじめて調和する。

逆に、音階を作っていく作業というのは比例によってあらかた求めたものを、他の音との調和も考えて調整していく、というものだったのではないか。神殿の各部寸法を決めていくように。そしてさらに、調和のつくりやすい音階として、全音階(ダイアトニック・スケール)が作られた。(あるいは逆か?)

私の神殿の師匠、堀内先生は退官間近。でも、その年からすると、かなりがっしりとした体つきの方だ。なにせ発掘とラグビーで鍛えたというのだから。さらに、若い頃は伊東忠太氏の研究室に出入りしていたという。どこまでも歴史的。かなりの現実主義者。まさに石を一つ一つ積み上げていくような考え方をされていた。私がとっぴょうしもないことを言おうもんなら、孫をさとすおじいちゃんのような顔をして、「かもね」。・・・かわされた! それでも、先生の歴史観を多分にふまえた、比較文化論的な考え方が好きだった。

先生はモーツアルトが好きだった。ダイアトニックにして純粋。混じりけなしのH2Oのような音楽。私としてはそんな精製水のような音楽よりも、ミネラル分を含んだ音楽の方が好きなのだが。私は当時も今もモーツアルトには興味がない。しかし、認めたくないがギリシャの神殿には近い音楽のような気がする。

「僕はドビュッシーのようなつかみどころのない音楽は好きではないのだけれど」そう前置きをして先生は語りはじめた。過去に受けた深い感銘。コンサートでワルター・ギーゼキング奏する「沈める寺」を聞いた時だったという。「聴いていて、情景が目に浮かんだんだよ」早速聴いてみた。

これがピアノの音だろうか?芯のある音。今まで聴いていたピアノの音はうわべだけの音だったのではないかとさえ、思えてくる。音系により、音単体により、空間が作られる。「音系」?「音単体」?

それ以前にもドビュッシーを知っていた。そう思っていた。曲を聴いたこともあったし、独特の全音音階という音階を創り出したということも知っていた。

「全音音階」。普通の全音階が‘全全半全全全半’という音の並び方をしているのに対し、この音階では‘全全全全全全’。一見単純そうに見えるこの音の並びだが、考えてみると、とんでもない意味がある。それまで常識的であった、ピタゴラス的な音の法則を切りくずしているのだから。音と音は単純な比例関係によって安定することなく、流動しはじめる。そして、音は安定した「旋律」ではなく「音系」となり「音単体」となる。個は全体であり、全体は個、そう感じた。

とはいえ、ギーゼキングを聴いた時点での私にこんなことを考えている余裕はなかった。圧倒されているだけで精一杯だったのだ。しばらく呆然としてしまった。

私の中の古典はくつがえされた。「知識」としてではなく「感覚」として。

【旧 Short Tripより 1999.09.08】