2005.7.10
時にはマンボウのように
「時にはマンボウのように、プカプカとただよっていたい・・・」
そんなことを言っていた友人がいます。
マンボウってなんだか、のどかな生き物のような気がしてしまいます。
そういえば、以前水族館で見たマンボウは巨大でした。もっと小さいものだと思っていただけにびっくり!大きな水槽の中を不器用にゆらゆら。それだけならともかく、あちこちに身体をぶつけて傷だらけでした。痛々しいマンボウ。やはりマンボウには広い海の中をのんきにただよっていて欲しいのです。
【旧 Short Tripより 1999.10.07】
* * * * *
「才能以上に感受性が豊かなんだろう傷つきすぎるのは」
これは誰の言葉なんでしょうか・・・?
もしかしたらマンボウは物凄い視界を体感しているかもしれません。
御存知のようにマンボウは不思議なバランスの身体を持った魚です。普通の魚なら胴体がきそうな部分が、ない。頭だけが泳いでいるような状態。
そして魚の目。超広角レンズを「魚眼レンズ」ということから察すると、かなりの範囲を見ることができそうです。もしかしたら180度に近い状態かもしれません。その目が薄い板状の身体の両側についている、ということは?ひょっとしたら上下・左右・前後ともにほぼ360度見渡せるのかもしれない!
これは凄いことです。例えば球体のまん中にいたとすると、瞬時に全体が見渡せるのです。どんな感じでしょうか?魚眼レンズの、半球状の視界が圧縮された映像でも歪んで感じるのに、それが全球で!しかも、動いている!・・・想像しただけでクラクラしてきました。
それを体感できる映像を見てみたい!気持ち悪くなりそうだけど、おもしろそう。「直線」あるいは「まっすぐ」の概念自体が変わってきそうです。そして、球体の中では球を球として認識できるのでしょうか?それとも?
「それなら、マンボウだけじゃなくて他の魚でもそう見えるんじゃない?」
・・・そうかもしれない。でも、あの身体の短さがポイントかもしれません。
それにしても、それだけの視覚を持っていたとすると、危険を察知する能力もかなりのものかもしれません。でも、運動能力が伴っていなかったら?これはかなり恐いことです。危険が迫っていることが分かっていても逃げられない。危険回避能力以上に察知能力が豊かだったら・・・。
やはり、マンボウは悩んでいるかもしれません。でも「昨日も大丈夫だったから、今日も大丈夫だろう」とのんきにかまえているのかも?
【旧 Short Tripより 1999.10.08】
2005.7.5
雨
雨が降りました。
降ってくる雨粒を見て思ったこと。
「もしかしたら、雨粒の形と赤血球の形は似ているのでは?」
落下している雨粒の形は、イラストなどでよくある下ブクレの「雨粒形」ではなく、キノコの石づきをとったような形だと聞いたことがあるような気がします。だとしたら、穴の開き損なったドーナツのような形。ということは赤血球とも似ている?たしかにどちらも「流れているもの」ですが、関連があるの?と言われるとちょっとアヤシイです。
水面に広がる雨の水紋を見るのが好きです。
30cmくらいの深さに水を張った場所があります。ある夕方、雨が降りました。水面には水紋。そして水底にはその影が映っていました。ライトアップされていたのでかなりくっきりと。綺麗でした。呼応し合うように二つの輪が同時に広がります。しばらく見とれてしまいました。
雨の音の表現について。
ザアザアとか、ポツポツとか、シトシトとか、いろいろなものがあります。でも、深みを感じるのは「蕭々」でしょうか。音そのもの、というよりも空間をも含んで表現されているような気がします。遠くが薄紫色に霞んでいく、といった感じで。昔の人はウマイことを言ったものです。
(シカモ、難シイ漢字デ・・・)
雨を見るのは好きですが、やはりどしゃぶりの中を歩くのは辛いです。梅雨時などはかなり。こんな時は・・・「新しい傘でも買って気分を盛り上げるか!」ってとこですね。それでもしばらく傘を買い替えていないところを見ると、私はけっこう「雨耐久性」があるのかもしれません。
明日は晴れるといいなぁ。
【旧 Short Tripより 1999.09.22】
2005.6.27
レモン・イエロー/無菌状態の美術館
どしゃぶりの日にギャラリーに行った。
ギャラリー、といっても古びたアパートの一室を開放しているだけのもの。小さな案内を見落としたら、そこがギャラリーだと分からずに通り過ぎてしまう。
アパート自体、妙に生活感がない。生命感もない。雨のせいだろうか。
うす暗い階段を昇っていく。誰もいない。入口付近にゲストブックや葉書が無造作においてある。
中は、ぼぅっと明るかった。部屋の下半分は鮮やかなレモン・イエロー。「レモン・イエローの廃虚」そんな感じ。素っ気無い蛍光灯。部屋の中央には聖遺物を思わせるようなタイル。そしてレモン・イエロー。ただそれだけ。
そこを訪れたのは一度きり。
【旧 Short Tripより 1999.09.09】
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昨日の「レモン・イエロー」は恵比寿にあるマサタカ・ハヤカワ ギャラリーで開催された「TERESITA FERNANDEZ展」を思い出して書いてみたものです。
荒涼とした幻想感がなかなかでした。体感している時も勿論よかったのですが、どちらかというと時間が経つにつれて残像的にインパクトを増していった気がします。一点もののインスタレーションだったせいもあるのかもしれません。作品に至るまでのアプローチを含め、印象的な体験でした。本当に小さなギャラリーなので、企画展についての情報を得るのが難しいのですが、何かおもしろそうなものをやっているようであればまた行ってみたいと思います。
このギャラリーとは対照的に、大半の美術館は整然としすぎてしまっている印象があります。「無菌状態」と言ってしまうのは大袈裟でしょうか?建築の設計に携わっているときは、建築をメインに見ることが多かったのでさほど感じませんでした。しかし建築から離れてみて、違った目で見るようになったのです。
例えば埼玉県立近代美術館で開催された「ドナルド・ジャッド展」に行った時。ジャッドのミニマルな作品は印象的でした。しかしビデオでテキサスの廃虚のような小学校(でしたっけ?)に設置されている同じ作品を見た時、この環境で体感できればもっとストレートに感じることが出来たのでは、と思わずにはいられませんでした。
「対比」の問題なのかもしれません。渾沌の中の静寂。あるいは嗜好によるものなのでしょうか。
逆にしっくりとした雰囲気を感じたのは品川にある原美術館。建物自体、というよりも展示空間として。空間がトンガッテいない分、作品を素直に受け取ることができる気がしました。雨上がりの時に行った時の印象が強いせいもあるかもしれません。雨上がりの時は土や木の匂いが強くなる分、リラックスするような気がしませんか?また、この美術館はそれを感じられる環境にあるとも言えます。
【旧 Short Tripより 1999.09.10】