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2005.8.8

くりかえし

「シチリアーノ」という音楽があります。
シチリア起源のダンス音楽、というのが
もともとの意味ということですが、
そのテンポは「心臓の鼓動に近いもので」というのを
聞いたことがあります。

メトロノームも秒針もなかった時代、
最も身近なテンポの指標となるものは
自分の心臓のリズムだったんでしょうね。

ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』でのワンシーン。
太鼓のリズムにトリップしてしまった彼女が一言。
「もう、あなたと一緒にいることはできない」
(かなり、うろおぼえ・・・。違ったらゴメンナサイ)

今、私たちの身体の中にある遺伝子は
生物としての個体を乗り換えつつ、変化しつつ
無限に近い春夏秋冬を繰り返して

その365倍もの昼と夜を繰り返したことでしょう。

くりかえし、くりかえされ、くりかえす。

太古から続いてきたこと。

【旧 Short Tripより 2002.01.18】

2005.8.5

通り過ぎた風景

「あの、曲り角を歩きたい」

異国の地にいながら
日本の、それも何の変哲もない曲がり角を
無償に歩きたくなった。
以前は日常の中で、ただ通り過ぎていただけ曲がり角。
沢木耕太郎の『深夜特急』の中に
そんな感じの描写があった気がします。

私はそこまで長いこと海外を旅した経験はないのですが、
沢木さんとは逆に、
日本にいる時に旅先での風景をフと思い出すことがあります。

それも、特別感動した風景とかではなく、
ただ通りすぎただけだと思っていた風景。

今日みたいなシトシト雨の日、
少し途方にくれながらあるいた石畳だったり。

道の中央に排水溝があって、
そこに向かっての水勾配がとってあるデコボコ道。

その日の宿が決まらず、
半ばボー然としながら重いかばんを引きずって歩いた
フランスの田舎の村だったり。

チュニジアの小さな町の、
新市街と旧市街をむすぶ埃っぽい道だったり。
お土産モノ屋とも日常雑貨屋ともとれる小さな店。

好奇心むき出しの男たちの視線。(コレ、かなりツラかったです)

決して「良い思い出」とは言えないかもしれないけれど、
それでもフと懐かしくなる風景。

もちろん、見たいもの、体験したいものがあって
海外旅行に行くのですが、
日本にいる時にはない不安感と緊張感を
楽しめるという期待もあるのです。
外からの刺激に体する自分の「感度」 も上がります。

また、旅がしたい。今度はアジア。

【旧 Short Tripより 2003.07.10】

2005.8.4

カタツムリ

道ばたでカタツムリに会った。
これからオペラを観にいくとのこと。
オペラ?私は一度も観たことないんだけれど。

「なかなか良いものですよ」

どんなものが好みなの?モーツアルトとか?
「なんだっていいんです」

「あれって物凄い声量でしょ?

それによって私の殻は振動するんです。
ぶるぶる、って。
その振動を受けて私の身体も揺れるんです。
ぷるぷる、って。」

他のコンサートじゃダメなの?
「いろいろ試してみたけれど、
やはりオペラが一番なのです。
なんて言うか、ほどよい塩梅ってヤツですかね」

「中でもソプラノの振動が好きなんです。
小刻みで、きめ細やかな振動に包まれる感じが」

「一時、仲間うちでも流行ったことがありまして。
ひしめきあって観ていました。
でもね、ここって波がきた時に
隣の方の殻と自分の殻が
ぶつかってしまうこともあったのです」

「ふわっとした振動に包まれていたと思ったら、
突然、隣の殻とぶつかる『ごつん』という音。
いきなり現実に引き戻されるのです」

「正直言って、残念でした。
みんながこの楽しみをわかってくれるということは
嬉しかったんですけどね」

「最近はそんなことはありません。
思う存分、振動に浸ることができます」

「あ、そろそろ行かないと」

楽しんで来てね。

ヌラヌラした粘液を引きずりながら去って行く彼を見送った。

【旧 Short Tripより 2001.10.21】