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2007.3.18

「地球が自転するの見に来られたし」

『フーコーの振り子』を読みました。
と言っても、ウンベルト・エーコの大作ではなく、アミール・D. アクゼルによるレオン・フーコー自身についての本の方。

エーコ版はずいぶん昔に読んで、かなり面白かった記憶があります。でも、再読するのは覚悟がいりそうです。

それはさておき。

今回読んだ『フーコーの振り子』も面白かった!ほぼ1日で一気に読了してしまいました。近代史や科学史に詳しい方にはそれほど目新し内容ではないのかもしれませんが。

レオン・フーコー(1819年9月18日-1868年2月11日)
振り子を使って地球が自転していることを証明した。

こんな教科書に載ってそうな説明だけでは見えてこない、その偉業に至までの数世紀にもわたる科学者たちの苦難や歴史背景が語られているのです。

しかも、かなり読みやすい。

フーコーをとりまく多くの人々、代表的なところではナポレオン三世フランソワ・アラゴーなどが登場するのですが。まず外堀を埋めていくように、かの人々のそれまでの生き方なり人となりが語られ、自然に本筋であるフーコーの話に編み込まれていく、その語り口が絶妙なのです。自然に読み進めていくことができます。(しかも、「アクゼルさんは、ガリレオ・ガリレイが嫌いなの?」と言ったツっこみを入れたくなるような記述が出てきたり:笑)

フーコーって、実は独学で科学を学んだ人だったんですね。知りませんでした。そのため、排他的で権威的なアカデミーに、なかなか認めてもらえない憂き目にあってきたようです。それでも彼には実験機材を発明する器用さと知識、視野の広い科学についての洞察力、それを分かりやすく表現することのできる文章力という武器がありました。

さて、タイトルの「地球が自転するの見に来られたし」ですが。

これは、ついに振り子よって地球に自転を証明する実験に成功した彼が、フランソワ・アラゴーのバックアップのもと、パリ在住の科学者という科学者に送った公開実験の招待状に記された文なのです。こうして「美しい実験」のための準備は整いました。

大きく重い振り子がゆっくりと左右に揺れ動く様子は、優雅な雰囲気を醸し出していた。また、空っぽのメリディアン・ホールに設置されたこの振り子は、パリ子午線の上で威風堂々と揺れ動いていただけでなく、さらにゆっくりとその振動方向を変化させていった。そして、この振り子の周りに集まった科学者たちは、自分たちが何を目撃しているのかをただちに理解したのである。
フーコーの振り子?科学を勝利に導いた世紀の大実験 』より

なんともシンプルで美しい実験ではありませんか!

余談ですが「公開実験」って響き、良いですね。未知の世界への好奇心と、期待感と、そして若干の胡散臭さが混在している感じで。

コメント

  1. 吉成行夫

    2007.3.23 21:04

    現代でわざわざ公開実験をするとなると、そこには政治的、企業戦略的、特殊団体の宣伝行為、誇張した販売目的といったマイナーなイメージが臭ってしまいますが…。
    当時のようにマスメディアが未熟で、業績の記録が不完全な時代には公開実験のような形が自分の研究や成果をアピールするために最もインパクトがある方法だったのでしょうね。
    広いホールの中に籠る期待と不安、好奇と疑いの中で巨大な振り子が動き出す瞬間…タイムマシーンに乗って見に行きたい気もします。

  2. ike

    2007.3.23 22:28

    > 現代でわざわざ公開実験
    たしかに・・・。
    視覚的に何かを伝える手段があまりなかった時代の「レトロ感」が懐古趣味的に良いのかもしれません。うーん。。。
    > 振り子が動き出す瞬間…
    ソレは掛け値ナシに魅力的な光景だと思います。
    引用している部分は本文を読むと、このストーリーの中での一番の見せ場のわりには意外とあっさりと表現しているように感じたんですよ。
    フーコー自身は自宅の地下室での実験でその現象からの衝撃をあらかじめ受けていて、引用の場面ではプレゼンテータとしての立場をとっていたので、その状況を踏まえての表現だったようにも思いました。
    でも実は、ワタシ的な文筆鍛練(笑)の目的で、そのシーンを自分の言葉で文章を起こそうとも試みたんです。でも結局、本文を引用してしまいました。
    本当は、そのシーンから想像できるストイックな静寂を表現してみようと思ったんですけど、今回は本の紹介ということもあるし、曲解してもなぁ、と迷ったあげくの結論でした。
    (す、すみません。ついウラ話を・・・)

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