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2005.6.19

定規を持つということ

私は「原初的なもの」が好きだ。
音にしても、形にしても、思考にしても、単純ではあるけれども、素直なもの。現代の常識で判断すると、全く検討違いなものもあるかもしれない。それでも、そこから発展する様々な可能性を感じさせられる。

恐らくそこには基準となるものがなかったのだろう。そこで、ものを判断するのは「相対」ではなく「絶対」だった。もちろんそこには個人差が生じる。そして、意志の疎通を図るために規格が作られる。長さを測るために定規が作られ、思考も「常識」とされる考え方に収束していく。

そしてそれが定着すると、逆に自分の中に情報をとりこむ時点で規格に対する「相対」で判断するようになる。記憶するにも記録するにもその方が便利だからだ。

「定規」を捨てることはできない。でも、物事を自分の中に吸収する時は「原初的」な見方をしていたい。そう思う。

【旧 Short Tripより 1999.08.25】