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2007.6.4

バカロレアの哲学の問題

フランスの大学入試資格、バカロレア。今日のフランス語講座でもその話題が取り上げられていました。

で、驚いたのがその哲学の試験の内容。3つほどの命題の中から好きなものを1つ選んで4時間かけて論述するというのかその内容とのことなのですが。

これ、高校生が答えられる問題?と思うほどスゴイんです。少なくとも私はそう思いました。高校生の自分だったら、絶対答えられそうにないものばかりです。

高校生なら無理でも、それからン年経った今なら?というと、やっぱり難しい問題ばかり。。。それでも無謀にも直感的にチラっと考えてみたいと思います。

以下、ラジオ講座で紹介されていたものの他にコチラのサイトコチラのサイトで紹介されていたものも含めてご紹介します。3つ目の「文章を読んでコメント」は無理なので、その他の2問をとりあげました。

* * *

芸術作品は背徳的であってもよいか?
それが背徳的かどうか判断するのも芸術家の役割なのでは?と思います。

無償の行為は可能であるか?
可能だと思います。(青いかな?ワタシ。:汗)

情熱は思慮分別と共存できるか?
できるでしょう!(ドきっぱり)
少なくとも、「創作」の場では情熱的な部分とそれを冷静に見つめる部分が同時に自分の中にあるように思います。

もし世界に意味がないとしても哲学はなお目的を持ちうるか?
「世界に意味がない」という状況が理解できません・・・。

哲学は諸科学についての考察をせずに済ますことができるか?
諸科学について考察した方が楽しく哲学できると思います。

ある芸術作品が美しいということを他人に根拠を示して説得することができるか?
説得されて「美しい」と「納得」するような程度のものであれば、説得された本人にとっては本当には「美しい」ものではないのだと思います。

人は自分自身に嘘をつくことができるか?
必要に応じて。
・・・と言いつつ、あまり必要性を感じたことがないような気も。。。

どのような条件の下で一つの活動は労働となるのか?
「報酬が得られる時」といったら、家事労働は含まれなくなってしまうなぁ・・・。保留。

人は何によってある出来事が歴史的であると認識するのか?
それまでと違う何かが起こったと感じた時。

人間の自由は労働の必要性によって制限されるか?
労働することで得られる自由もあると思います。

人は知識なしに技能的習熟を持ちうるか?
できればカッコイイですね!

正義の支配を実現するとは、単に法律を適用することか?
「正義の支配」という言葉自体、すでに胡散臭さを感じます。法律も、良いものばかりとは限りません。

人は美を判断するのか、それとも感知するのか?
判断によって「処理」されて作られた美は美でなくなっていくように思います。という訳で「感知」に一票。

法律は我々に何をするのが正しいかを示しているか?
法律を決める立場にある方々には、法律を守ることによって世の中がどう転がっていくかを想像して法律を作ってもらいたいものだと思います。

他人に対してのみ義務はあるのだろうか?
そんなことはないでしょう。自分に対するものもあるはずです。

時間から逃れようすることには意味があるのだろうか?
「時間から逃れる」ってどういう状態を言っているんでしょうね?「時間を忘れる」のであれば普通に通常起こっているし、「時間を歪ませることができるようにする」のであれば、それができたら途轍もなくスゴイことです。

ある文化の価値を客観的に評価することは可能だろうか?
あまり「客観」という言葉を信じていません。

経験が何かを証明することが出来るか?
証明かどうかはわかりませんが、とりあえず「説得力」は増す気がします。

真理よりも幸福を優先すべきだろうか?
真理を得ることが幸福だと考える人もいるのでは?その場合は共存しているといえるのでは?

ある特定の文化が普遍的な諸価値の担い手となり得るだろうか?
そういう考えはアブナイと思います。

* * *

ふぅ。

バカロレアはパスできそうもないなー。(^_^;)